皆さんは、自分のことを、どのくらい分かっているでしょうか。
自分の好きなものや嫌いなもの、自分の長所や短所であれば、いくつも挙げられる人は多いでしょう。また、毎日の日課や、今月の予定、来年、再来年のこと、進路や将来の夢など、自分のやりたいことを思い描く時もあるでしょう。
しかし、自分とはどういう存在で、何のために生まれてきたのか、また、どのように生きればよいのかについて考えたことがある人は、どれほどいるでしょうか。
今回は、お釈迦様が出会われた若者たちの姿を通じて、自分の心を深く見つめることについて学んでいきましょう。
自分を探し求める
お釈迦様が、旅の途中、一本の樹の下で休息をとっておられた時のことです。
若者たちが、慌てて森の中を行ったり来たりした後、お釈迦様に、「こちらに、女が一人、逃げてこなかったでしょうか」と、尋ねてきました。
彼らは、30人ほどで、夫婦でこの森に遊びに来ていたのですが、一人だけ、まだ結婚していないからと、妻ではない女を連れて来た若者がいました。若者たちが森で楽しく遊んでいるすきに、その女が、彼らの財物を盗んで逃げたため、みんなで女を探しているということでした。
その話を聞かれたお釈迦様は、次のようにお尋ねになりました。
「若者たちよ。逃げた女を探し求めることと、自分自身を探し求めることと、どちらが大事だろうか」
我を忘れて女を探していた彼らは、はっとしました。若者の一人が、
「それはもちろん、自分自身を探し出す方が大事なことです」とお答えすると、お釈迦様は、
「若者たちよ。そこに座るがよい。私が今、自分自身を探し出すことについて、教えよう」
と仰せになり、人生の正しい見方、正しい生き方について説かれました。
若者たちの心は純粋であったため、お釈迦様の教えを理解し、出家して弟子となったのでした。