ラーダが舎利弗尊者の弟子となった時には、すでにかなりの高齢でした。年をとればとるほど、頑固になり、人の言うことを聞けなくなるものです。
しかし、ラーダは教えを聞き、言われたことを一つずつ着実に実行し、その結果、数日で悟りを得ました。他の比丘たちが何年かけても得られなかった結果をすぐに手にしたのです。その結果を引き寄せたのは、「素直さ」に他なりません。
たとえば、プロスポーツの世界でも、スポンジが水を吸うように、教えたことをどんどん吸収して成長する選手がいるといいます。そうした選手に共通するのは、助言に対する「素直さ」だそうです。
反対に、期待の新人として迎えられても、何年も結果が出せない選手には、コーチの指導を「素直に聞けない人」が多いといわれています。
お釈迦様は、自分の短所や間違いを指摘する人を、「財宝のありかを教えてくれる人」にたとえられました。短所や間違いこそが「財宝」であるのは、短所や間違いが分かれば、それを直そうとして、成長するからです。
誰でも、人から欠点を指摘されると、嫌な思いになるものですが、そうした指摘は、実は、成長のヒントになるのです。
叱られているうちが花
私たちはつい、欠点を指摘してくる人を嫌ってしまうものです。しかし、欠点に気づけるということは、それだけ近くで見てくれているからであり、
「あなたに成長してほしい」「そこを直せばもっとよくなる」という思いが込められています。
また、叱る側は、自分が嫌われてもよいという心も持っているものです。そこまで相手のためを思っていないと、叱ることなどできません。さらに、年をとるほど、「叱っても直らない、意味がない」と思われてしまい、叱ってくれる人はいなくなります。
このように、叱って頂けることは、実は有難いことなのです。
欠点を指摘されたら、落ちこんだり、泣いたり、怒ったりするのではなく、まずは素直に受け止めてみましょう。そして、冷静に自分を振り返り、正すべきところを正す努力をすることが大切です。
文・範 光淳
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