犬や猫などの動物も、カブトムシなどの昆虫でさえ、一緒に生活すれば、愛着がわきます。ましてや、家族や友だちという身近な人々とは、いつまでも一緒にいられると思い、日頃、別れが来るとは誰も考えないものです。
しかし、このお話の行者と子象のように、別れは、ある日突然、何の前ぶれもなく、やってきます。行者も、道ばたで死んでいる動物を見ただけなら、深い悲しみは生まれなかったでしょう。子象にエサをやって可愛がり、一緒に生活して幸せだったからこそ、悲しみは深くなりました。
言い換えれば、愛情から苦しみが生まれたということです。このことを、仏教では、「愛別離苦」といいます。愛するものは、初めは喜びや楽しみ、幸せを運んできてくれます。しかし、その愛情が大きければ大きいほど、失った時の苦しみも大きくなるのです。
苦しみを乗り越える
私たちは、どのようにその苦しみを乗り越えればよいのでしょうか。
天界の長が語ったのは、愛するものを失った時、嘆き悲しんではいけない、ということではありません。しかし、「どれだけ死者を嘆いても、全く無駄なことなのだ」とまで言い切ったのは、私たちがその道理を心から知り、受け入れなくてはならないからです。
死は誰にでも訪れ、いくら嘆いても死者は帰ってきません。愛するものといつか必ず別れなければならないと、深く心に刻んでおかねばなりません。そして、いざという時に後悔しないよう、普段から愛情や感謝の気持ちを素直に伝えておくことも大切です。
世の中の誰もが死ぬということは、言い換えれば、誰もが、愛するものとの別れを経験するということです。自分一人だけが、特別に不幸を背負っているわけではありません。人間はどうしても、好きな人やものに執着してしまいます。しかし、その先に待っているのは苦しみです。いざという時、苦しみを乗り越えるために、お釈迦様の教えを聞き、執着を離れるように心がけていきましょう。
文・飛鳥 ゆめ
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