お釈迦様の弟子がうらやましいと思ったのは人の食べ物でしたが、それは性格にも、衣服にも、環境にもいえることです。
相手を見て、よいところを見つけるだけならよいですが、ひとたび自分と比べて、うらやましく思った途端、不満が大きくなり、心の中が穏やかではいられなくなります。
心の中が不満だらけだと、だんだん自分のことが嫌いになったり、相手をねたんだりするようになって、楽しいことや嬉しいことがあっても、もっともっと…と求め続け、満足できなくなります。時には、相手をうらむ心さえ生まれてくるのです。 そうならないためには、お釈迦様が説かれたように、まずは周りと自分を比べないことです。
前へ進む力になる
また 「隣の芝生は青い」といわれるように、私たちは人のことを何でもうらやましく思いがちですが、自分の受け止め方一つで状況は変わります。たとえば、貧しい人、体の弱い人、勉強の苦手な人であっても、逆にその困難に立ち向かうことで、たくましく生き、ついに大きな夢を叶えることのできた偉人はたくさんいます。
つまり、「たとえ得たものは少なくても」、それを不満に思って愚痴をこぼすか、それに感謝して前に進むかで、世界は全然違って見え、結果は大きく変わってくるのです。
感謝の心で
私たちは様々な人が集まった社会の中で生活しています。学校にもいろいろな人がいますし、同じ家の中で暮らす家族さえも、全く同じではありません。家が貧しい人、裕福な人、体が丈夫な人、病弱な人、勉強が得意な人、苦手な人…と様々な違いがあります。一見喜びを感じることはできそうにない貧しさや体の弱ささえも、自分がどう受け止めていくかで、今に満足し、感謝して生活していくことができます。
そのことを、お釈迦様は、
「足るを知る人は、地面に寝ていても心穏やかである。足るを知らない人は、たとえ天上界の宮殿に住んでいても満足しない」
と説かれています。私たちが生きていくためには、何が必要で、何が必要でないのでしょうか。もっともっと…と求めれば、切りがありません。手に入らないものを求めるあまり、かえって本当の喜びを見逃してしまいます。
本当の喜びとは、お金がなくても、体が弱くても、勉強ができなくても、足ることを知り、感謝の心で毎日を過ごせる心のことです。その心は、私たちに安らぎをもたらし、周りへの思いやりの心や、奉仕の心を生みます。
それこそが、誰でも手に入れることのできる、一番尊い喜びなのです。
文・末広 かりん
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