
学校で、他の子がうらやましいと思ったことはないでしょうか。テストでいつもよい点数をとれる子や、野球やサッカーが上手で、大会で活躍している子などを見ると、うらやましいと感じてしまいます。自分も頑張っているのに、何であの子の方がうまくいくのだろうと、不平等に感じたことはありませんか。
しかし、それは本当に不平等なのでしょうか。今回は、仏教から見た「平等」とは何かについて学んでいきましょう。
ミリンダ王の問い
昔、ミリンダという王様が、ナーガセーナという高僧に対し、次のような問いかけをしました。
「人間には長生きする者もいれば、短命な者もいる。また、見た目が美しい者もいれば、醜い者もいる。どんな理由があって、人間は全て平等ではないのか」
これに対して、ナーガセーナ尊者は、
「王様、ではお聞きしますが、なぜ、果実は全て違うのでしょうか。一つ一つの果実を見てみると、甘い果実もあれば、酸っぱいもの、辛いもの、苦いもの、渋いものと様々です
と問い返しました。すると、王は、
「それは、果実の種がそれぞれ違うからであろう」
と答え、それを聞いたナーガセーナ尊者は、次のように答えました。
「王様、その通りでございます。果実の種が違うと味が変わるように、人間も、なしてきた業、過去の行いが一人ずつ違うため、全て違うのです。お釈迦様は昔、仰せになりました。『全ての生き物は、それぞれに業を持っていて、業を積み重ねながら、生まれ変わり死に変わりしている。この業が、生きている者の尊さや、いやしさなどを決定づけている』と」
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