皆さんは普段、「こうしよう」と思い立ったことを、思うように実行できなかったことはありませんか。
たとえば、「お母さんが大変そうだから手伝った方がいいかな。でも、友だちと遊びたいからやめよう」とか、「挨拶しなきゃ。でも恥ずかしいからやめとこう」と思うことは、よくあることです。
こうした時、初めに思い立ったことは善いことのはずですが、次に「でも」がついたとたん、そのように実行することができません。
仏 の 心 人 間 の 心
お釈迦様は、「人は誰もが仏の心を持っている」と仰いました。
その心の一つが、手伝いなどをして「人の役に立ちたい」という心です。
人のためを思って行動することは、とても尊い、善いことです。
しかし、私たちは日頃、過ごしている時間のほとんどで、自分のことばかり考えているため、周りの人のために行動しようとしても、いつのまにか、自分の欲や感情をもとに動いてしまいます。
この「自分中心」の心が、善い行いの邪魔をしてしまうのです。
「仏の心」は本来、きれいな心ですが、「自分中心」の心が強くなってくると、だんだんと、私たちの心はいやしく、汚れたものになってきます。
汚れた服を洗うためにきれいな水が必要なように、汚れた心をきれいにするには、きれいな心に触れることが大切です。