念佛宗 【念仏宗】無量壽寺|まなびの泉

念仏宗の総合案内 サイト更新日2023年6月24日

 

 

花を咲かせるために
 みなさんは、蓮という花を知っていますか。蓮の花は、とても美しい花びらで有名ですが、草木が青々と茂る野原のような場所では育ちません。逆に、じめじめとした汚い泥水の中で、何ヶ月もの間じっと茎を伸ばし、夏の暑くて湿った時期に、泥から顔を出し、美しい花を咲かせます。この清らかな姿から、蓮の花は、仏教を象徴する花として知られ、お釈迦様の時代から、世界中で大切にされ、古い彫刻や絵にも描かれています。
 私たちはつい、さわやかな風が吹く高原のような土地こそ、美しい花が咲く場所にふさわしいと思いがちです。しかし、蓮の花は、咲く場所が汚い泥の上だからこそ、その美しさを際立たせます。それは、人間が泥の中で、悩み迷い、もがき苦しんでいるからこそ、苦しみのない世界を目指し、悩みや迷いをぬぐい去った自分になりたいと思って、立派に成長できることと同じです。
 仏の世界を目指すことは、居心地のよい場所では、とても難しいことです。たとえば天界は、いずれ寿命が尽きて苦しみの世界に落ちてしまいますが、楽しみの多い世界であるために、仏の世界を目指そうという気持ちが起こりにくい場所です。それに比べて、人間界は、汚い泥が蓮に栄養を与えた結果、きれいな花が咲くように、悩みや迷い、苦しみのある世界だからこそ、仏の世界を目指すことができるのです。
 
 

泥凡夫として

 自分の苦しみや悩みを受け止めることは、とても難しいことです。気に入らないことがあると腹を立てたり、落ち込んだりするのが私たち人間です。こうした私たちのことを、仏教では、「泥凡夫」といいます。
 ことわざに、「若い時の苦労は買ってでもせよ」とありますが、美しい蓮の花を咲かせる泥のように、苦しみや悩みこそが、これからのみなさんの人生で、大輪の花を咲かせる栄養となります。
 このことを深く自覚できれば、人生で出遭う、どんな悩みや迷いも、苦難さえも、前進していくためのバネとなり、大きなエネルギーになります。そうして苦難を乗り越えていく人の姿は、美しく光り輝いて、他の多くの人々を、幸せへと導いていくことができるのです。
 
 
 
 

文・ 青空 みやび

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