異教徒の男は、日頃から、「信者を取られたくない」「自分の地位を守りたい」などと思い、お釈迦様に、一方的な恨みを抱いていました。
その感情がお釈迦様を目の前にして爆発し、大声の悪口につながりました。そして全く相手にされなかったことで、ますます頭にきた男は、砂を投げつけ、向かい風に遭って、自分が汚れる結果となってしまいました。砂を投げたのは自分であり、砂をあびたのも自分です。お釈迦様はそこに立っておられただけで、男の行いには何も関わっておられません。
自分の行いによって、自分に結果が返ってくる。このことを、仏教では、「自業自得」といいます。
この男のように、すぐに結果が返ってくる場合もあれば、すぐには結果が出ない場合もありますが、人を汚そうとしたり、傷つけようとしたりすれば、いつか必ず、苦しい結果が自分に返ってくるのです。私たちも、人に砂を投げつけることはなくても、誰かの悪口を言ったり、物に八つ当たりしたりすることがあるかもしれません。しかし、自分の行いの結果は、必ず自分に返ってきて、痛い目を見ることになります。
たとえば、人の悪口を言っていたら、周りから「口の悪い人だ」と思われ、いつのまにか自分も悪口を言われているかもしれません。物に八つ当たりをする人も、気が収まらないどころか、物が壊れたり、自分の方がケガをしたりして、「どうして、こんなことをしてしまったのだろう」と後悔することになるでしょう。
自分の心と向き合う
怒りの心は、「カッとする」といわれるように、瞬間的に、沸き立つように出てくるものです。しかし、その怒りの心を、悪い行動に結びつけるまでには、少し時間があります。その少しの時間を、ぐっとこらえて、心をしずめ、悪い行動を起こさないことが大切です。
そして、怒りの心を起こさないためには、仏教を学び、実践することです。怒りは、「自分の思い通りにならない」「自分の気に入らない」という思いから生まれてきます。逆に、自分ばかりを思う心を離れ、「人のため」という思いで行うことが「精進」です。
精進をすることで、人を思いやる心が育まれ、少しずつ怒りから離れることができるのです。「自業自得」ということは、自分の心次第で、よくもなれば、悪くもなるということです。日々精進し、心を磨いていきましょう。
文・日向 うらら
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