
村人たちは、お釈迦様と弟子たちのために、自分で稼いで得た食事を差し出しました。皆が裕福な人ばかりではなかったことでしょう。自分の食事の量を減らし、少しでも足しになればと、一人一人が真心の布施をしたのです。
このように、善とは、自分を捨てて、他のためにする、あらゆる行いのことをいいます。
しかし、ビラーラパーダカ長者は、「自分には功徳がないかもしれない」「自分が恥をかかされたらどうしよう」と、自分のことばかり考えていました。
これでは、本当の善とはいえません。それでも、長者は、最終的に自分が間違っていたことに気づき、布施をさせてくれた男に心から謝りました。
初めは、いやしい心で行った布施でしたが、この時、心が改められたため、清らかな布施となったのです。しかし、長者はまだ、猫の足ほどの量の布施を「少なかった」と後悔していました。
そこで、お釈迦様は、長者の心を見定められ、「小さな善であっても、軽く見てはいけない」と教えられたのです。
お釈迦様は、人を水瓶に喩えられ、一滴の水でも、やがて水瓶を満たすように、小さな善でも積み重ねれば、やがて人を満たす、と説かれました。
私たちも、たとえば、お寺のお堂や大きなお仏像を布施しようと思っても、たくさんのお金を稼いでいなければ、できるものではありません。しかし、大きな善で一気に水瓶を満たせなくとも、人に明るい笑顔を見せたり、優しい言葉をかけたり、人助けをしたり、お寺で精進をしたりして、小さな善を積み重ねることはできます。
また、毎年、お寺に小さな貯金箱を布施される人もいます。その方は毎日、コツコツと貯金され、満たされた時、一年間の善の思いを布施されています。その心こそが尊いのです。
私たちも毎日、何か一つの善を積んでいきましょう。自分を捨てて、人のためにコツコツと積み重ねていけば、善に満たされる日が来るのです。
文・清風 りょう
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