私たち人間には、生まれつき、「知りたい」「知り尽くしたい」という探究心が具わっています。その心があるからこそ、人間は知恵を磨き、知識を重ねて科学を発展させ、便利な社会を実現してきました。
雪山童子は、「食べられてでも言葉の続きが知りたいか」と問われ、迷わず身を差し出すことを約束しました。
しかし、童子は、「教えを知りたい」というより、「教えを伝えたい」という思いを強く持っていました。童子は、自分が救われたいから修行していたのではなく、世の人々を救いたいと願っていました。だからこそ、石や壁、木や道に至るまで教えを刻み、その後で、谷に身を投げたのです。
このように、未来の人々のために、自分を犠牲にする行いは、「捨身施」といって、最も尊い布施とされます。
他のために
私たちは一日のほとんどを、自分のことを考えて過ごし、ひと月、一年と、自分のことばかりの人生を送っていきます。それほど、人のことを考えるのは難しいものです。ましてや、雪山童子のように命懸けで他を救おうとする行為など、普通はできるものではありません。それでも、たとえば人が電車の線路に落ちた時、危険を顧みず、線路へと助けに入る人もいます。
そんな時は、頭で考えるより先に、体が動くのだそうです。それは、人間に他を救いたいと思う心が根づいているからです。誰もが少なからず、自分を犠牲にしても人を助けたいという気持ちを持っています。
私たちの心の奥には、自分のことを勘定に入れず、他を救い、他の幸せを願う心、仏様の心があるのです。仏様の教えが現代の私たちに伝わるまでの2500年の間には、雪山童子のように、自分を犠牲にしてでも教えを伝えたいと願う人々が、たくさんおられました。
私たちも、「自分のために」の心を離れ、「人のために」の心、布施の心を持って過ごすことで、周りも、自分自身をも幸せにしていくことができます。普段から、仏様のお話に耳を傾け、正しい心を学び、仏様の道を歩んでいきましょう。
文・暁 ひかり
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