いくら教えが正しくても、世の中に弘めていく間には、何度も壁にぶつかるものです。 しかし、お釈迦様は、そんな時こそ、ライオンのように恐れず、風のように一つの場所に留まることなく、蓮のように汚れた世の中に染まらず、サイのようにたとえ独りでも力強く歩め、と仰せになりました。
お釈迦様が、その教えを自分だけで喜ぶのではなく、辛い目にあってまでも、強い決意で弘められたのは、その大切さを確信しておられたからに他なりません。
たとえば、私たちの目の前で赤ちゃんが包丁を手に取ろうとしていたら、すぐさまその包丁を取り上げるでしょう。 また、あと一歩で崖から落ちるような所に人が立っていたならば、思わず「危ない!」と声をかけるでしょう。 赤ちゃんも、崖にいる人も、自分が危ない場所にいるとは思っていないように、たとえ人々が気づいていなくても、迷いの世界で苦しんでいる姿を見たら救わずにはいられないのが、仏の心です。
お釈迦様は、このような強い決意と限りない思いやりの心で、悟りを開かれてから45年もの間、教えを説き続けられました。 そして、その御心を受け継いだ弟子、上人方のお蔭で、仏教は二千五百年という永い年月を経て、現代の私たちのところへ伝わってきたのです。
人の手本となる
私たちの目の前には、たくさんの道があります。自分の人生は他の誰かが代わってくれたりはしませんから、自分の道を決めるのは自分自身です。しかし、時には、道に迷ってしまうこともあるでしょう。そんな時、人生の道標となるのが、仏の教えです。
ただし、仏の教えは、どれだけ知識をもっていたとしても、日々の生活に活かさなければ意味がありません。大切なのは、恥ずかしいとか、人からどう思われるだろうという自分の計らいを超えて、自信をもち、独りよがりにもならずに、仏の教えを根本とする正しい行動をすることです。
目的がしっかりしている人、自分の行動に自信をもっている人というのは、堂々として、輝き、人を惹きつける魅力があります。
「この人が言うことなら信じてみよう」そう思われる人になることで、人々を正しい道へと導くことができます。
これを、仏の教えを世に弘めること、つまり、衆生済度というのです。
人々を幸せにする光り輝く仏の道を、一人一人が力強く歩んでいきましょう。
文・日向 うらら
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