心の汚れに気づく
汚れた布をいきなり美しい色で染めようとしても、色鮮やかには染められません。美しく染めあげたいならば、その前に布を洗って、汚れをとることが大切です。
お釈迦様は、私たちの心についても、美しくするためには、まず、「洗って汚れをとらねばならない」と説かれ、その心の汚れとは、貪りや怒りであることを示されました。貪りとは、あれもこれもと欲張ることです。つまり、貪りや怒りで心が汚れていると、どれだけ美しく見せようとしても、本当に心が美しくはならないということです。
私たちはまず、心の汚れをしっかりと見つめなくてはなりません。汚れていないと思っていたなら、服を洗濯機に入れることはなく、食器も洗うことはないように、心を清らかにしようとも思わないからです。
お釈迦様は、貪ること、怒ることという二つの心の汚れを示されましたが、他にも、「間違いを隠すこと」「けちなこと」「頑固なこと」「怠けること」「いばること」などを挙げられています。たとえば、出来の悪かったテストを隠したり、おもちゃやゲームを独占したり、自分の考えを言い張ったり、いつまでもベッドでだらだらするなど、どれも、私たちが日常の中で経験することでしょう。
日々を過ごす中で、自分の心が汚れていることを発見して初めて、洗うことができるのです。
心の洗濯
しかし、心を取り出して洗濯することなどできません。どのようにして、心を洗えばよいのでしょうか。それは、仏様の教えを読んだり、聞いたりして、実際に善いことを行ってみることです。
私たちは、日々、自分の感情に振りまわされ、それによって、迷い苦しみます。そんな私たちの悩みに、答えを下さるのが仏様の教えです。教えを聞き、心の汚れを洗い流して初めて、私たちの心は、様々な色に染めることができます。清らかな心は、これからどんな絵でも描くことのできる、真っ白なキャンバスのように美しい心です。
私たちの人生は、どんな色にも染めることができますが、その前に、仏教を通して、日々、積み重なっている心の汚れを洗い落とさなければ、色鮮やかに染めることはできません。毎日たまっていく汚れを繰り返し洗っていくことで、さらに色鮮やかな、光り輝く人生を歩んでいきましょう。
文・暁 ひかり
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