私たちは皆、両親や兄弟を始め、たくさんの人に囲まれて生きています。
そうした多くの人たちと一緒に生きていく上で、他の人が何を考えているか、自分がどう感じているかなど、お互いの気持ちを知り合う手段として、言葉はなくてはならないものです。
皆さんは、普段、どんな言葉を使い、どんな言葉を聞いていますか。
たった一言の重み
言葉の中には、言ってもらえて嬉しい言葉もあれば、人の心を引き裂き、深く傷つける言葉もあります。
例えば、「うざい」「むかつく」「きもい」「死ね」「殺す」といった言葉。皆さんも、聞いたことがあるでしょう。口にしたこともあるかもしれません。
こうした言葉づかいを叱られた時、
「冗談のつもり」「ふざけて言っただけ」とごまかす人もいるでしょう。
しかし、これらの言葉は、そんなに軽いものではありません。
その一言で、自ら命を絶ってしまった人が、今までもたくさんいましたし、私たち自身、これから先、その一言で心をえぐられ、死を考えてしまう可能性さえあります。
メールや携帯サイトを使えば、面と向かっては言えないようなひどい悪口が、もっと簡単に使えてしまいます。
書き込む側が、軽い気持ちで悪口を使うのとは裏腹に、書き込まれた側は、周りが皆、敵に見え、孤独に悩み苦しむのです。
こうした悪口とは反対に、よい言葉、例えば、悩んでいる時の励ましの一言、辛い時のやさしい一言は、同じ一言であっても、どれだけ私たちの心を救ってくれるでしょう。
自分を理解してくれる人がいる、受けいれてくれる人がいる。思いやりに溢れる言葉をもらうと、ただそれだけで、心の強い支えになります。
ほめてくれたり、励ましてくれたりはもちろん、叱ってくれるのも、その人の気持ちに気づいた時、心温まり、幸せな気持ちになれます。
「やさしい言葉一つで冬中暖かい」といわれるほど、その一言には、私たちが考えている以上の重みがあるのです。
それでも、相手を安心させ、心を救うような言葉をかけたり、かけられたりすることは、一生のうちに、何度もあることではありません。
その「たった一言で誰かの悩みや苦しみを吹き飛ばす言葉」は、軽い気持ちで簡単に話せる悪口とは違い、心の底から湧いてくる真実の言葉であり、その時の私たちの「真心」は、仏様の心になっているのです。