同じ長い箸にもかかわらず、餓鬼の世界では苦しみ、極楽の世界では平和に暮らしています。
この二つの世界でただ一つ違うのは、人々の心のあり方です。それは、自分さえよければいいと考えて、その結果苦しんでしまうのか、それとも周りの人のことを考えて行動することで、一緒に幸せになるのかという違いです。 地獄や餓鬼の世界、極楽の世界というと、死んだ後の世界と考えてしまいがちですが、このお話は今を生きている私たちにも当てはまります。
たとえば、学校で友だちとケンカをした時、頭がカーッとして顔が赤くなり、お腹が熱くなるのは、まるで炎が燃えさかる地獄の世界のようです。
新しいおもちゃやゲームが発売されると買ってもらい、飽きたらまた新しいものを買ってほしいとねだり、「あれもほしい、これもほしい」と思っている時は、満足できない餓鬼の心です。
遊び道具を独り占めしたり、クラスの係や委員会の仕事で文句を言ったり、物事がうまくいかずに「ちくしょう」とつぶやいたりする時は、自分のことばかり考えている畜生の心です。
地獄・餓鬼・畜生という三つの世界は悪い世界の代表で、私たちは、一日の間だけでも、こうした悪い心で行動していることが多いものです。
地獄極楽は心にあり
しかし、逆に考えてみれば、よい心で過ごせば、よい世界が目の前に開けてくるということです。
大変そうにしている人を見て手伝ったり、みんなが嫌がる仕事を積極的に引き受けたりした後、どのような心になりますか。友だちに「ありがとう」と言われた時、自分と友だちはどんな気持ちになっているでしょうか。達成感や清々しさを感じていると思います。これが極楽の心です。
よい世界も悪い世界も、私たちの心と普段の行いの中に現れている。このことを 「地獄極楽は心にあり」というのです。
今 どう過ごすか
さらに、お釈迦様はこのように説いておられます。
「そなたは知っているであろうか。阿弥陀佛は、ここからそう遠くないところにおられることを」
私たちはみんな極楽に生まれたいと思っています。しかし、極楽も、極楽をつくられた阿弥陀様さえも、私たち自身のすぐそば、善なる心の中におられるのです。
その心を光り輝かせるためには、心を磨くこと、つまり悪いことをせず、善いことに励む、ただそれだけです。その努力がそのまま極楽になるのです。
文・水守 えいか
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