最初の男が果実を欲しいだけ食べ、袋にもたくさん入れて、その時は満足していたとしても、早く木から下りなければ、痛い思いをすることになるように、欲しいという思いを捨てられず、いつまでも求めてばかりいると、自分が苦しむことになります。 たとえば、好きなものばかり食べて体をこわして後悔したり、ゲームなどの欲しいものが手に入らないと悩んだり、それを持っている人をうらやみ、ねたんだりもするでしょう。
しかも、それを手に入れたら幸せかというと、私たちの欲望にはきりがないため、一つ手に入っても、また他の何かが欲しくなります。そうして、いつも心は穏やかではありません。 このように、私たちは、つい目先の楽しみにひかれてしまい、後に苦しみがあることを忘れてしまいます。 それはまるで、刀に塗られたハチミツをなめ、甘さをむさぼりながら、自分の舌を傷つけているようなものです。
私たちの周りには、こうした果実やハチミツのように、夢中になってしまうものがあふれています。 しかし目先の楽しみに夢中になって、後で悔やむようなことになっては、たとえ欲しいものが手に入ったとしても、本当に幸せとは言えないでしょう。
あれもある これもある
これらの欲望を、自分の心からなくすことができるなら、苦しみを受けることはありませんが、実際は欲望をなくすことなどできません。お釈迦様が仰る「欲望のあるがままの姿を見る」とは、むさぼりが苦しみを生む、と見抜くということです。
無理をして禁欲的な生活を送る必要はありませんが、欲張ることをせず、
「あれもない、これもない」という不満ではなく、「あれもある、これもある。有難い」と、身の回りの人や物への感謝を心がけることで、苦しみの少ない幸せな人生を歩むことができるのです。
文・陽美 まり
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