迦旃延尊者の仰る「相手の立場に立つ」とは、例えばこういうことです。
お年寄りの気持ちを感じるためには、手足や体に重しをつけ、アイマスクをし、耳栓をつけて行動してみるとよいでしょう。周りがはっきり見えず、音も聞こえない中、歩こうとしてもひざが上がらず、少しの段差でもつまずきます。腰が痛み、ただ立っているだけでも疲れ果てることでしょう。
サッカーの試合を観戦していて、審判のファウル判定に腹が立った時は、実際に審判を経験してみることです。常に走り回ってボールを追いかけ、反則を見極めて判断する緊張感。反則をとれば、その選手からの猛烈な抗議。反則をとらねば、相手チームの選手から抗議を受ける。体力も精神力も並大抵では務まらず、選手以上に大変です。
このように考え、行ってみると、その人の気持ちを感じることができます。
相手の気持ちになれた時、電車でお年寄りに席を譲る、自分勝手な抗議や主張を行わないなど、正しい行動が自然と出てきます。
分かったつもりでいるだけでは、意味がありません。何とか相手の立場に立とうと努力して初めて、思いやりの行動ができるのです。
真の思いやり
世の中には多くの人がいて、毎日、様々な思いをもって生きています。
今日、家族に囲まれて誕生日を祝ってもらえる幸せな人がいる、その一方で、食べ物が無くて飢えている人、重い病で亡くなっていく人もいます。
あらゆる人の思いを感じ、その人々の立場に立てたなら、世の中のあらゆる喜びを自分のことのように喜ばしく感じ、あらゆる苦しみを一緒になって悲しまずにはおれません。
その心は、「皆が幸せでないと、自分も幸せでない」と、皆を幸せにするため、日夜手を尽くされる、仏様の心です。
皆さんも、まずは身近な人のことを、自分のことのように感じてみましょう。
そこから、少しずつ周りの人々、遠く離れた人々のことまでも考えられるよう、その心を育てていきましょう。その努力こそ、真の思いやりへの第一歩なのです。
文・清風 りょう
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