
ウサギは自分の身を捧げて、見ず知らずの人間を助けようとしました。
他の動物や昆虫も、自分を犠牲にして他に尽くすことがあります。たとえば、チドリやヒバリなどの鳥は敵が近づくと、親がおとりになって敵を遠ざけ、ひなを守ります。そのため、親だけが敵に食べられることさえあります。また働きアリは、その名の通り、せっせと働いて、自分の一生を、自分の子でもないアリたちを大事に育てることに使うのです。
そして、私たち人間もまた、命を懸けて誰かを守ることがあります。
今年(平成25年)3月、北海道を寒波が襲い、ある親子の乗った車が大雪で動けなくなってしまいました。何とか屋内に避難しようとしましたが、途中で体力が尽きてしまい、父親は娘だけでも守ろうと、自分の上着を脱いで娘にかぶせ、雪が入ってこないように、かばうように覆いかぶさり、一夜を過ごしました。二人は翌朝になって発見され、娘は命を取り留めましたが、父親は娘を両手で抱きしめながら亡くなっていました。
娘を守った父親の思い。天人に身を捧げたウサギの行動。私たちは、自分を犠牲にして誰かのことを思う、その純粋な心に、胸を打たれます。
この純粋に他を思う心こそ、私たちが目指している仏様の心です。
見返りを求めない
皆さんも、人の手助けをしたことがあると思います。その時に、「後でおこづかいがもらえる」「みんなからよく見られたい」など、自分への見返りを求めてはいなかったでしょうか。
経典のウサギや動物たち、北海道の父親は、何の見返りも求めず、自分の命さえもなげうって尽くしました。
仏教では、人に何かを施す時、「施される人」「施す物」、そして「施す人」全てが「清らか」でなければならない、と説かれています。
「清らか」とは、私欲や下心がなく、純粋なことであり、その心は青く透き通った瑠璃に喩えられます。この宝石は、清らかであると同時に、強固であり、美しい輝きを放っています。
「困っている人を助けずにはいられない」という純粋な思いは、自ずと清らかな行いにつながり、結果、私たちは人として強くなり、輝いてきます。その先にこそ、仏の世界があるのです。
文・水守 えいか
123456789101112131415161718192021222324252627282930313233343536373839404142434445464748495051525354555657585960616263646566676869707172737475767778798081828384858687888990919293949596979899100101102103104105106107108109110111112113114115116117118119120121122123124125126127128129130131132133134135136137138139140141142143144145146147148149150151152153154155156157158159160161162163164165166167168169170171172173174175176177178179180181182183184185
