ニグローダは、雌鹿の思いを聞き、慈悲の心を発しました。そして、自らの命を差し出し、雌鹿とおなかの子供を救おうとしました。
このように、自分を勘定に入れず、他を救いたいと思う心は、慈悲の心であり、仏様の心です。王様が心動かされ、命を大切にするように考え方が変わったのは、この「他を思う心」が美しく、尊いと感じたからです。慈悲の心は、王様の心をも動かす、大きな力があるのです。
しかし、お釈迦様のように、他のもののために自分の身を犠牲にするということは、私たち凡夫が簡単にできることではありません。どうすれば、仏様の慈悲の心に近づくことができるのでしょうか。
実践の積み重ね
困っている人がいたら、自分が何をすべきか考えてみましょう。具体的にどうすればよいのか分からない時には、自分がしてもらって嬉しかったことを実践するのもよいでしょう。日常生活の中で、自分にできることを考え、小さな実践から始めることで、人のための行動が自然とできるようになります。
頭で思うことと、行動に移すことは違います。正しい行動が分かっていても、体を動かすことができなければ、困っている人にとって、苦しい状況は何も変わりません。一歩を踏み出せなければ、「誰かのために何かしたい」という気持ちは、「何もできなかった」という後悔に変わってしまいます。
小さなことでも、人のためになる行動を心がけ、実践していくことで、いずれ、その行いは、多くの人を幸せにします。
お寺での精進は、一人一人の「他を思う心」を集め、多くの人に真の幸せをもたらすために行われています。日々の実践の積み重ねで、慈悲の心、仏様の心を育てていきましょう。
文・暁 ひかり
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